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2017.09.03 (Sun)

血みどろ砂絵/くらやみ砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ


血みどろ砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ
(2008/6/25)
都筑道夫

公の身分はとうになく、
一芸と言えるものは、
ゲテモノの範疇を出ないだろう。
雨の日は働けないし、
住処の壁は崩れ落ちている。

それでも思うさま飲んで笑える日がある。
俺たちには、センセーがいる。

【More・・・】

家族から慈しまれて育ち、教育の過程を滞りなく終え、
社会に出て働きつつ伴侶を得て家庭を作り、
それを維持しながらやがて引退して、
家族を見送って、見送られて一生を終える。
そういう人生はとても平凡だけれど、
本当にその通り生きる人は、実は少数派なのではないかと思う。
問題のある家庭、結婚・仕事の失敗、理想とのずれ、
はたまた事故や事件に巻き込まれる等々、
挙げだしたら切りがないほど「平凡」から外れる分かれ道は存在する。
一度外れても戻ることはいつでもできるけれど、
戻ることは外れることよりもずっと時間と労力の要る仕事になる。
だから、おそらく一番ありきたりな人生とは、
様々な過程のいずこかで「みんな」からずれることがあっても、
終点から見ればそんなずれも分からなくなっているような、
そういう「上がり」に至る道なんでしょう。
路上で芸のようなそうでないような大騒ぎをして、
それで日銭を火星で暮らしているなめくじ長屋の面々を見ていて、
真面目だなあ感心してしまった。
尊ばれるより蔑まれることの方が圧倒的に多い場所で、
彼らは不必要に自分を卑下しないし、誇ることもない。
晴れてさえいれば勤勉に路上で銭を稼ぐ。
寝て起きて働いて、食べて寝る。
身分をみたないことは江戸の町では少数派かもしれないけれど、
なめくじ長屋での暮らしは、とても平凡に見えた。

とは言いつつ、平凡とは言えそうなのは、
一芸つきの物乞いとしての暮らしの面に限った話で、
そもそも一人一人のその「芸」自体が、
どれもびっくり人間コンテストという感じなので、
彼らが集まっている様をさながらアベンジャーズのようだと思う。
オヤマを紅一点とみなすなら、戦隊ヒーローと言えなくもない。
ただ、このヒーローたちが力を振るう目的は、
一にも二にも関係者からの礼金、口止め料、
その両方を含んだ仕事料なので、正義のセの字も期待できない。
依頼があり、リスクに見合った収入が見込めるならば、
脅し拐かし盗み嘘八百に躊躇することもない。
全くとんだ物騒な探偵団もあったものだと思う。
問題解決の手段として積極的に乱暴な手を選ばないのは、
何の保証も後ろ盾ももたない自分たちにとって、
それが単にリスクが大きすぎるからに過ぎないという雰囲気もあり、
実際他に方法がなければ証拠の捏造から強姦までしている。
砂絵描きのセンセーを中心として歯止めは一応あるものの、
身分と立場をもつ善良な市民からすれば、
彼らは十分に危険な無法者集団でしょう。
それでも悪い奴らだとは思えないのは、
ものの見事に「問題」を解決してみせているからか。
センセーの統率力に恐れ入る。

やれ風呂桶を盗んでくれやれ呪いから守ってくれと、
何かしらのつてで依頼されることになるものの、
別に探偵や便利屋の看板を掲げているわけではないので、
なめくじ長屋の面々自ら事件を仕入れてくるか、
でなければ親分が無責任に投げて寄越したものを頂戴するか、
いずれにしろ人とは全く関係のない部外者として首を突っ込むことになる。
本当に困ったり悩んでいる当事者からしたら、
一体こいつらは何者だをいうことになるのは当然で、
いくら上手く事を収める手を提示されたとしても、
多分私なら素直に受け入れたりはしないと思う。
センセーが長屋の住人に何かしらの指示を出すとき、
全体像を説明する暇も惜しんで迅速に事を進めるのは、
説明するよりもさっさとやってしまってから、
事後報告がてら金を頂いた方が、
確実かつ危険が少ないと踏んでいるからなのかもしれない。
明らかに武士の身分の出で、諸々の事情に通じていながら、
一方で無宿人としての振る舞いも身に馴染んでいるセンセー。
一体どんな風にしてなめくじ長屋の砂絵描きになったのか気になる。
長いシリーズのどこかでセンセーが口を滑らしてくれることを期待している。

良いの悪いのではなく、安全と金額で動く長屋の面子が、
今のところ唯一義憤のようなもので動いたのが、
哀れな姉妹を襲ったぼんくら共の話で、
生き残った妹の口から語られる犯行の様子を聞けば、
彼らが仇討ちとばかりに動いたのも当然に思える。
江戸の町において身分をみたない無宿人であることが、
実際どういう形で生活を制限するのかということを、
奉行所の対応を見て初めて認識した。
常人の数分の一しか人間として価値がない。
だから殺しを訴えるなら、常人の数倍の被害者が要る。
非人や無宿人というカテゴリの存在は別にして、
罪の大きさを被害者の人数で測るやり方は今も生きていて、
その線引き冷徹だけれど、とても合理的に感じる。
でもどんな合理的な制度でも否と言える窓口は必要で、
それを完全に奪われることが、
弱い者に与える絶望はあまりに大きい。
戦う術もない人々の無念を晴らすために何かする方法として、
センセーの考え方はとても洗練されている。
多少の収入の確保は行きがけの駄賃ということで、
おそらくお天道様もお目こぼしくださると思う。

色をつけた砂で地面に直接描く砂絵とは、
一体どんなものなのか。
センセーの前に一日座って見学したい。
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テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


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