2017年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

2017.09.05 (Tue)

ゴランノスポン


ゴランノスポン
(2013/11/28)
町田康

この世の大部分には、
小さな人間がひしめている。
言い訳と怠惰、
自分にだけ都合の良い解釈。

私が立っている場所は、
多分とても普通の場所だ。


【More・・・】

夏の海岸のは花火の燃えかすが落ちていて、
駅のホームには痰が吐き捨てられ、
インターチェンジのゴミ箱は大体いつも溢れている。
それはもはや認識にも上らないほど、
ありふれた不快な光景だ。
ゴミは持ち帰ること、公共の場所を清潔に保つことは、
教育のごく初期の段階ですり込まれた事柄のはずだけれど、
自分の行動をその例外に置く理屈も簡単に身につく。
ゴミを放置し、痰をまき散らして歩く人間がほんの一部ではないからこそ、
不愉快な光景は、当たり前の光景になっている。
割れ窓理論のようなものがそこに働いているのだとしても、
ではまっさらな一枚目の窓を割った人間こそ、
社会病質的な、おかしな者なのかと言えばそんなことはない。
多分、一枚目を割った人間の頭の中には、
窓の割れた光景が、普通のものとして収められている。
どんなに不愉快な光景でも、それが特別なものでないなら、
それを目の前に現出させることに躊躇する理由はない。
隣家の猫の死体を内密に処理し、捨てられた子犬を山に放置し、
ゴミを谷底に投げ捨てて帰る夫婦は、
どこまでも不愉快なだけの、確かに「一般人」で、
その例外の多い規範に、吐き気がした。

次々と不愉快なことが起きつつも、
語り口はどこまでも愉快な七つの短編。
「一般の魔力」に顕著なように、語り手はみな基本的に人間が小さい。
高潔な意思や何やらそういうものはことごとく持ち合わせず、
その場しのぎでごまかし、知ったかぶりをし、
なんとなく面倒臭いなーで行動を遅らせる。
気まずいから、気分が乗らないから、タイミングが悪いから云々と、
自分への言い訳には事欠かない。
その結果大抵はろくでもないことが起こり、
起こってしまったことは自分以外のせいにする。
なんて普通の人間ばかりなのだろうと思う。
あまりに普通で、それを内面の動きまで事細かに書かれるがために、
登場人物の誰を見ても同族嫌悪を起こすという稀有な事態になる。
それが最も激しかったのは「先生との旅」の「私」に対してだった。
この人のその場しのぎ、ノリだけでなんとかやってきた感じは、
自分の怠惰で自分を追い詰めているときの私そのもので、
何も考えずに提出してしまった演題に期待されていると知った時など、
自分のことでもないのに胃痛がしてくる思いだった。
期待に見合った働きをできるとは思っていないのに、
「先生」に期待されているということには喜びを感じたり、
偉い先生の言動には自分などでは理解し得ない意味があるのだと卑屈になったり、
胸に刺さってくる杭がいちいちトゲトゲで大変辛い。
だからその卑小さにぴったりの哀れな結末には安心した。
これでさらに期待が続いたりしたら、ぷちりと潰れるところだった。

「ゴランノスポン」の「僕」もノリだけでやっている人間の一人で、
それが周囲の友人、知人全体まで同じだという所に、
「僕」を取り囲む世界の薄ら寒さがある。
身というものの全くない会話、
ネガティブな評価をことごとく無視するぬるま湯。
ネムルバカ」のルカ先輩の言うところの「ダサイクル」が、
極まるところまで極まるとこういう風になるのかもしれない。
それで本当に満足が得られて、幸福だと言えるなら、
ダサイクルにい続けることは悪いことではないと思うけれど、
死んだ友人の酷い歌を聴かされて、
それを消化しないうちに息苦しいバスで足止めを食う。
その程度のことでぬるま湯の底が抜けてしまうなら、
破綻の日はいつ来ても可笑しくなかったのだと思う。
そして更に気分を落ち込ませるのは、
この最悪の葬式の日も過ぎてしまえば、
「ヤバ」くて「すご」くて、いわば「最高だった」で片付けられ、
「僕」の参加するダサイクルは回転を続けそうだという点で、
こんな場所に入り込んでしまっていないか、
よくよく冷静に日々周囲を観察していなければ。

「二倍」の雄大が入った演技会社は、
会社全体、いや多分業界全体というレベルで、
せっせとお金をダサイクルに載せて回していて、
そこには実体が全くなく、下手くそな歌さえも生まれない。
働いている人間もそれが演技だと分かっていて、
何をしても心を動かしていないという点では、
ネット上の情報でしかない存在であっても、
人を動かす力を持つ虚像より悪質かもしれない。
とはいえ、新しくやって来た社員に「演技会社ですので」と説明し、
役者に演技の自覚を持たせるのは良心的かもしれない。
でも、自覚がなければ、不安はない。
自分たちは日々何の意味もない演技をしているだけだと知っていて、
それでも尚、不安から目を逸らして長く演技を続けられる人間は、
そんなに多くはないのではないかと思う。
雄大のようにそこから抜けていく者の方が圧倒的に多い気がする。
長く、無意味な舞台を続けるためには、
演技だという話はしない方が良いように思うけれど、
ああしかし、それでは演技ではなくなってしまうのか。
いくら十分な給料を貰えて生活していけるとしても、
少し心を緩めればあっという間に不安に飲まれてしまうような場所で、
仕事を続けることに、少なくとも私は耐えられる気がしない。
雄大は、クビになって良かったのだろうと思う。

尻から出る清い泉。
万病が治るくらいでなければ、
それを尊ぶことは出来そうにない。
尻の不浄感、強い。
スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


15:15  |  町田康  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/711-833ec5d1

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |