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2017.09.24 (Sun)

素数の音楽


素数の音楽
(2013/9/28)
マーカス・デュ・ソートイ

孤独な数だと言う人がいる。
底意地が悪いと罵られもする。
どう呼ばれても、それはそこにある。
無限の彼方へ、連なっている。

素数。
勇敢なる探検家を道連れに、
その深淵を覗き込む。


【More・・・】

証明する、と一口に言っても、
必要な要素や形式は命題によって異なる。
殺人犯を突き止めようとするなら、状況証拠に加えて、
確たる物証も必要だろうけれど、
数論においては、物証も経験知も意味がない。
10のうん何十乗にのぼる「物証」は、
予想や証明に乗り出す動機にはなっても、
決して証明を支える基盤にはならない。
多くの科学がそれで良しとする証拠をはねつける数学。
その厳しさ、途方もなさには身の竦む思いがする。
でも、「リーマン予想」という巨大な山に挑む数学者たちは、
時に自分の頭のねじを吹き飛ばし、
時に人生の全部を間違った計算に費やしながらも、
楽しそうで、幸福そうで、何より誇らしげに見えた。
「底意地が悪い」と称される素数の前に、
過去多くの天才たちが膝を折ったと知っていてもなお、
今も美しい証明を求めて挑戦を続ける人々は、
紛れもなく勇敢で偉大な冒険者だと思う。
先人の築いた基盤の上で思いもかけない跳躍を見せる様は、
人間の可能性を信じさせてくれるものでもあった。
素数を理解できるほど複雑ではなかったとしても、
人間の頭は大層素敵なものだと心から思った。

学生時代を通じて数学を嫌いになった時期はないし、
今でもその美しさには心惹かれるけれど、
iに出会ったときには流石にここは一体どこだろうという気分になった。
虚数はその字面が示す通り実体のない数で、
どうやってもi個のみかんを食べることはできない。
このiの意義、存在を受け入れるかどうかが、
数学と付き合い続ける気になるかどうかの分岐点のような気がしている。
iによって数の地平が大きく広がったように、
かつて負の数や0が見つかったときにも、
多分ぐいぐいと無理矢理皮を伸ばされるように、
人間の頭は世界の見方を拡張されて、
そのことを受け入れがたく思った人もいたんだろうと思う。
そんな風に想像してみれば、
iの慎ましやかな姿を認めることくらいなんてことはないし、
無限の大きさを比べたり、行列をかけ算することも、
別にやっていけない禁断の魔術ではなくなる。
全ての科学がそうであるように、
ひたすら抽象世界を掘り進む数論も、
世界を拡張する探検の一つなのだと、
バトンを繋いで進んでいく数学者たち足跡をたどりながら実感した。
そうして頂の影を拝んだだけでそんな気分になれるのだから、
リーマン山の霊験あらたかなことといったならない。

素数が化学の世界で言う原子のようなものだとしたら、
それがどんな風に現れ、どう振る舞うのか分からないというのは、
確かに数を扱う人間からすればもどかしいことこの上にないだろうと思う。
「証明されていることよりも、知られていることの方がはるかに多い」としても、
膨大な「知られていること」で納得できるほど、
数学者という生き物が分かり良いわけではないことは、
特別一人のエピソードを持ち出す必要もなく、
ガウスから続く数学者たちの諦めの悪さが示している。
コンピュータが登場したことで、
「計算」という単純かつ間違いを含みやすい作業から、
数学者たちは解放されることになったけれど、
それでもゼロ点の風景を完全に解釈することはまだ出来ていない。
つまり、コンピュータはリーマン予想の証明に必要なものが、
人生を計算や試行に費やすことなどではなく、
思考と発想、更にそこからの大きな飛躍だと証明してしまった。
まだ誰もそれを「思いつけて」いないのだと。
リーマンの小道云々の話も明確につかめていないのに、
素数についてぼんやりと一日考えただけで、
単純そうなのにつかみ所のないこの存在に苛立った身としては、
いつ誰がそれを「思いつく」か分からないという希望と恐怖を抱えたまま、
数学者としての生命をかけて挑戦を行う精神の強靱さに、
ただ恐れ入ることしかできない。
証明の美しさを理解できるうちに、「その日」が来ることを期待している。

数学者というのは孤独を愛する変わり者というイメージが強く、
確かに独房で論文を書いたり、疎開中に発見をしたり、
イメージ通りの人物も多く紹介されているけれど、
社交家、プレイボーイ、あるいは共同論文の鬼といった人もいて、
数学をする頭というのはどんな性格の被膜の下でも、
何の問題もなく働く強靱なシステムなんだなあと思った。
そして、どんな人物であれ、何を証明しようとしているのであれ、
そんなことは微塵も考慮することなく、
学問の館を破壊し、若い才能から機会と命を奪う戦争を、
無粋に振り下ろされた刃のように憎らしくを思った。
ヨーロッパの数学者たちを国外へ流出させ、
命の危機も含めた苦境を強いたことで、
ある面では思考の飛躍と新しい環境が生まれたことも事実だけれど、
それはたとえ数十年遅れることになったとしても、
いつかちゃんと人類が辿り着けた場所だろうと思う。
けれど戦火の下で失われた学者たちの頭は取り戻せない。
リーマンのメモをくべた暖炉をさらうことがもうできないように、
死者の可能性は絶対に復元できない。
その損失の大きさというただ一点を思うだけで、
あんなことは繰り返してはいけないと信じるには十分だと思う。
それにしてもどんな状況でも証明を続けるのは天晴れだけど、
研究室の壁が崩れ落ちる前に数学者の皆様には逃げて欲しい。

証明された問題もされていない問題も数あれど、
ソリティアで勝つ確率がまだ分からないというのは、
何かぞっとする話ではある。

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