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2017.10.09 (Mon)

櫛挽道守


櫛挽道守
(2013/12/5)
木内昇

目指す場所はただ一つ。
欲しいものは全部そこにある。
平坦ではない道だけれど、
その正しさは信じられる。

鋸を挽こう。
日が暮れ日が昇り、
この手が鋸そのものになる時まで。


【More・・・】

同じ職を目指せと言われたこともなければ、
最低でもこれくらいという希望を提示されたこともなく、
ただ笑って生きていてくれさえすればそれでというのが、
良心が唯一娘に明確に望んだことだったのだけれど、
勝手なもので、娘はそれを無関心と受け止め、
どんな道でも選べるように整えられた広大な将来に、
レールを引いてくれる親だったらと夢想した。
あまりに甘ったれたその夢想には、
親の心子知らずとは言っても、今でも顔から火が出そうになる。
登瀬が望んでいるもの、辿り着きたいと願っている場所が、
毎日すぐそこに見えているという幸福を見ていると、
強く心を焼かれるような気持ちになった。
何かになれと強いられることは苦しいけれど、
諦めることを他人のせいにできると考えれば、楽だともいえる。
でも登瀬が得ている幸運はそんなものではない。
自分が何を欲しているかがはっきりしていて、
それへと導く師が家の中にいて、
しかも師であり父であるその人はお前の好きにしろと言う。
村や時代から押しつけられるしがらみに足をすくわれそうになっても、
ひたむきにその場所を目指すことこそ、
自分のすべきことだ信じることができる。
その幸運は同じ時代に生きた人々にとってはどれほどのものだろう。
登るべき真っ直ぐの激流と闘う彼女に嫉妬してばかりいた。

男の仕事、女の仕事と分けられている境界を踏み越えることは、
自分自身に対する反発だけをかわしていればいいという話ではなく、
大変腹立たしいことにその矛先は周囲へも及んでしまう。
櫛を碾いて生きると決めた登瀬と家族への反発は、
多分程度の差こそあれどんな土地でも存在する種のもので、
直接的な暴力や生活を不可能にするような圧力ではなかっただけ、
薮原という場所は開かれた村だったのだろうと思う。
いや、あるいは遠い江戸や京で巻き起こる騒乱の風が、
一人の女櫛挽きにかかずらうような暗さを吹き飛ばしてしまったのか。
何にせよ、お六櫛にとっては厳しい時代が始まる時期だとしても、
登瀬のように生きることも緩やかに受け入れられ、
時には認められさえするような良い時代に、彼女は生まれたのだと思う。
もちろん、縁談に日々の仕事に、家族との通わない心にと、
常に足場が揺れているような思いをしながら、
それでもこの頑固な人が美しい櫛に惹かれる心だけは否定せず、
毎日、毎日鋸を挽き続けたからこその道であって、
生まれ落ちた場所でのうのうと、という話では全くない。
それにそても登瀬のことを考えると羨む気持ちがどうしても湧く。
それほど彼女に惹かれているなんて言うのはおためごかしが過ぎるか。

櫛の道をひた走ろうとする登瀬と同じ家の中で、
妹は家族への呪いを育て、弟は家族への愛を育てていたわけで、
たびたび登瀬がぎょっとしているように、
兄弟姉妹でも見えているものは全く違う。
姉には心安らぐものである鋸の音は、
妹には家にかかった呪いの源に聞こえていたのだろうし、
外を向いていると思っていた弟の目が、
どこまでも優しく家を思っていたことを誰も知らなかった。
まあ喜和の思いに関しては、
登瀬があまりに櫛のことばかり考えていたがための鈍感と言われれば、
庇う言葉は全く見つからないかれど、
少なくとも弟が死ぬ前は、完璧ではなくても、
家族は信じ合えていたのだろうと思う。
姉は櫛師としての自分を、妹は嫁していく将来を、
母は子供たちの当たり前の道を、
銘々が勝手に信じていただけ、とかの意地の悪い見方もできる。
でも幼い子供がいる若い家族というものは、
それで普通なのではないかという気がする。
その身勝手な夢から外れることがあったとしても、
子供が一本の道を確かに歩んでいれば、
多分その頃の夢は少し苦い笑い話になるだけのこと。
そうなる日が永遠に訪れることがないことを思うだけでも、
息子の、弟の将来をふいに失うことの酷さが堪える。
銘々の心の中にいる子供が別の姿をしていることがまた悲しい。

源次の成長に登瀬は死んだ弟を重ねて見ているけれど、
直介は騒乱の中に自分の居場所を探す必要はなかっただろうと思う。
草紙の中の童のように広い場所へ出た後また戻ってくるような、
自由で温かな道があることを少年は知っていた。
むしろ源次に似ているのは実幸の方だと思う。
自分が生まれ落ち、何もしなければ生涯抜け出ることのない世界から、
どうにかして逃れようと二人は足掻いていた。
実幸が櫛と家のことに関して何か企みをしているのではないかと、
登瀬とともに終始そわそわしてしまったけれど、
この婿殿は源次より少しばかり器用なだけで、
同じ時代に生きる他の青年たちとほとんど変わらない。
赤ん坊が出来て根を得たように息をついた様子見て、
そのことにやっと気がついた。
自分が何者であるか証明したいと願いながらも、
帰るべき場所を探す様子は旅をする童にも重なるものがある。
家族から離れ、自分一人で道を切り開いてきたという自負が、
実幸にはあるのだろうけれど、
里の名、家からの荷物、世間の様子を知らせる文のことを考えると、
それがそこに存在することこそが青年が一人きりではなかった証だと思う。
実幸が登瀬の家で作り上げた居場所を思うほど、
そんな風に器用には生きられず、誰に気遣われることもなく、
激流に飲まれていった源次の寂しさを思わずにはいられない。
本当に自分に向けられたものではない優しさを、
無言のうちに返してこの世を去った男の背ばかりを思い出す。

お六櫛というものの画像を探してみて、
これを手鋸で作る職人の技に感嘆した。

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