2017年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

2017.10.25 (Wed)

今日はいぬの日


今日はいぬの日
(2015/6/27)
倉狩聡一

飼うことは自由を奪うこと。
生の一部あるいは全部を、
勝手な管理のもとに置くこと。

代償として幸福を差し出せないなら、
その人間に犬と暮らすほどの価値はなく、
犬に飼われる価値もまた、ない。

【More・・・】

ペットショップで働きたいと夢見ていた頃、
あれは動物を売る仕事だと吐き捨てられたことがある。
その時には一体何が気に障ったのか分からなかったけれど、
商品である動物がどんな風にそのショーケースに入るのか、
売れなかった動物がどうなるのかを知ってしまえば、
私にもそれを仕事にする気持ちはなくなった。
もちろん、ペットショップを経由するか道端で出会うかは、
共に暮らす動物と人の間に生まれる何がしかの情愛には関係がない。
家畜がそうであるように、
売買のシステムの中で数を増やしていると考えれば、
ペット化されることは種の繁栄に対して害悪だとは言えないかもしれない。
でも、極論を承知で、ガス室に送り込まれる犬猫と人を並べて想像するなら、
私には両者の間にある重みの違いを説明することはできない。
全ての命を同じ一つと数えることにも賛同する。
にも関わらず、更に想像を進めて、
どちらかを殺すボタンを押さねばならないとしたなら、
涙と悔恨とともに犬猫を殺すことはできても、
泣き叫び命乞いをする人の声を同じように割り切ることは、
多分自分の命か人間性を捨てる覚悟をせねば私には出来ないと思う。
おそらく、それが私にとっての人と動物の線引きで、
どれほど愛していても、時に「家族」という言葉を使うとしても、
私は人の家族と動物を区別する。
ヒメには理不尽にしか映らないその線引きの理由を問われても、
ただ「違う」のだとしか言えないだろうと思う。
人の言葉を持ち、人の傍で、犬のために人に怒りをぶつけるヒメには、
それはどんなに愚かに映るだろうか。

ある日庭に落ちてきた光る石を食べたことで、
ヒメは人の言葉を理解し、話すことまでできるようになる。
そうなる以前から家族が言っていることの大体は分かっていたようだし、
自分を大切にしない家族への怒りも積年のものなので、
あの石が全ての元凶だとは言えないだろうけれど、
言葉を理解し、それによって知識を得たことは、
ヒメをものを「考える」生き物に変えたように見えた。
痛い、辛い、お腹空いたなどの感覚に直結した感情だけの世界から、
いくつもの成長の段階をすっ飛ばし、
自分の知りたい情報だけをインターネットから吸収したことが、
ヒメ自身にも止められない方向へ彼女を暴走させてしまった気がする。
もしも人間の子供が同じように扱われ、
同じ過程で言葉と知識を手に入れたとき、
ヒメと同じ同じものになるのだとしたら、
その点では犬と人の間に違いはないと言えるかもしれない。
あるいは、似た経験と知識をもつミコトが、
ヒメとは全く違うものを選んだことや、
スズちゃんが自分を手放した人を恨まなかったことを考えると、
結局は出会いの問題なのか、とも思う。
良い人間が動物を「良い子」にするということではなく、
どんな関係にも相性というものがあって、
そこから得たものを基準や土台にすることが、
「考える」ことの最初の一歩になる。
そんな風に考える方が、ヒメの有様を正確に捉えられるか。
いずれにしろ、善悪ではなく幸福というものを基準にするなら、
ヒメは良い出会いを得られなかったということなのだと思う。

殺処分を行う施設で働く小高は、
ヒメには身勝手な人間代表のように見えていて、
彼女が助け出し、組織した犬の軍団にとっても、
最も憎むべき相手として認識されているけれど、
その心情まで含めればおそらくヒメよりもずっと、
理不尽に殺される動物という「同胞」のことを考えているし、
こういう社会を機能させている人間全体の罪とも向き合おうとしている。
ヒメたちの行為が報復以上の意味も効果も生み出せず、
むしろ局所的には状況を悪化させている様子を見ていると、
ああやはり犬は犬でしかなく、この辺りがヒメの限界なのだと、
ひどい感想を抱いたりもしてしまった。
でもよく思い直してみれば、ヒメも彼女に同調した犬たちも、
誰も社会を変えるだとか人間を皆殺しにするだとか、
そういう目的意識は最初からなかったのだと気がついた。
理不尽な扱いに対する復讐と、同じ境遇の同胞の救出。
彼らの目的はそれだけで、行動によって正しく目的は達成されている。
従順な人間だけを飼うのだというヒメの言葉は、
犬がそうされていることを叫ぶためだけのものに過ぎなかったのだと思う。
そして、小高とヒメの言葉は何一つ通じていない。
同じ言葉を使い、同じ現象に対して怒っていてさえ、
犬と人がすれ違ってしまうことはとても寂しい。
ただそうして正面から対立する意思の力を互いが持っているなら、
いっそ犬に飼われるのも悪くない気がした。

小高を苛む悪夢の中の黒い影も遠吠えの声も、
最終的には彼の過去が招いたものとして実体をもつけれど、
何の犠牲の上で安穏と育てられていたのかを知った日から、
この男はずっと悪夢の中にいるような気分なのではないかと、
ただ生きているだけで辛そうな様子を見ていて思った。
犬の命の上に育ち、それを断ち切りたくて家族を告発し、
なのに結局は犬の死の臭いを手にこびりつかせて生きている。
自己満足に過ぎないと理解している贖罪は、
新しい苦痛を犬に与えるばかりか、
知らず知らずのうちに犬も人も傷つける化け物を作り出してしまった。
ヒメの憎しみはそもそも小高とは直接関係がないのだけれど、
小高にはヒメこそが自分の人生の罪が具現化したものに見えたのか。
犬を思い、命と向き合い、人の事情にまで首を突っ込んで、
必要のない苦悩を増幅させている小高を見ていると、
この人はもう犬から離れた方がいいのではないかという気がした。
獣医という職にこだわったとしても、
犬から離れることは不可能ではないはずで、
多分そうでもしなければ、
小高はいずれ犬のために自分か他人を殺してしまうと思う。
ガス室で死にたくないと足掻く力と意思が残っているうちに、
自分が生きていく場所を考え直して欲しい。

犬を虐待し、放置し、投げ捨てる人々は、
犬が噛み殺すのに任せるのではなく、
人が人の責任として始末をつけなければならない。
ガス室以外の方法を探さなくては。

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想 - ジャンル : 本・雑誌


12:12  |  倉狩聡  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

突然の訪問、失礼いたします。
私はこちら⇒https://goo.gl/J4i7FY
でブログをやっているさくらといいます。
色々なブログをみて勉強させていただいています。
もしよろしかったら相互リンクをお願いできないでしょうか?
「やってもいいよ」という方はコメントを返してくだされば、
私もリンクさせていただきます。
よろしくお願いします^^
さくら |  2017年10月25日(水) 12:19 |  URL |  【コメント編集】

●Re: タイトルなし

ご訪問ありがどうございます。
申し訳ありませんが、相互リンクは辞退させていただきます。
あこん |  2017年11月02日(木) 11:04 |  URL |  【コメント編集】

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://acon6960.blog40.fc2.com/tb.php/720-c9da061e

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP |