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2009.10.26 (Mon)

僕はかぐや姫


ぼくはかぐや姫
(1993/12)
松村栄子

クローゼットから出して、
気分次第で着換られる。
今日はこっち、明日はあっち。

性がそんなものだったら、
どんなにかいい気分だろう。


【More・・・】

女子校というのがどういう場所なのか、
足を踏み入れたことがないのでよく分かりませんが、
想像するに恐ろしげな気がしてしまいます。
乙女たちの秘密の花園、というより、女の国というイメージ。
まあ、まさかアマゾネスやハートの女王がいるとは思いませんが。
とにかくそんな偏見だらけのイメージを持っていたので、
「女子校では誰も女性である必要がない」
という文章を読んだときは、はっとしました。
そういうものか、と妙に納得して、その一瞬後に違和感。
男のいない場所では、女性が女性である必要がないなら、
言い換えるなら、「女性をやめること」ができるなら、
その場所で少女たちは「何」として振る舞うのだろう。

「僕」を自称する祐生にもそれは多分分かっていない。
「男になりたいわけじゃない」と彼女は言う。
でも、「女の子は嫌だ」。
その気持ちを思春期特有のなんとかと名づけて、
ありふれたものにしてしまうのは簡単だし、
確かにそれがありきたりで平凡な感情だということを、
祐生自身が知っている。
何しろ「女子高に来ると他にも<僕>たちはいっぱい」いたのだから。
でも、読んでいると、自覚的で過度に分析的なせいで、
その「ありふれた」感傷にさえ十分に浸れない祐生が、
たまらなく痛々しく見えた。
一篇の詩の前に立ちすくんで魂の音を聞くような少女でありながら、
彼女はもうほとんど大人なのだと思った。
そして最後、彼女の<僕>を誰より引きとめたかったのは、
多分、読み手である私自身だという気がした。

同時収録の「人魚の保険」では、
失うことを恐れる人々が、愛し合っている。
愛し合っていると思いたいと、願っている。
その筆頭格の「イズミ」の理屈、正直に言って良く分かる。
終わりが怖いから、終らない仕掛けをしておく。
そのただ一つの終らないものを支えにして、
数多くの終わりを乗り越えようとする。
できるならば、終らないものが欲しい、誰だって。
でも、イズミ自身がうすうす気づいているように、
それは多分不可能なんだと思う。
いつ始めようと、終わりはくる、必ず。
でも、欲しい、手に入れられると信じたい。
そうでなければ、一人では立てない。
祐生といいイズミといい、
どうしてこう痛いところを的確にえぐってくるんでしょう。

それに比べて、
藤井くんもナルもトルファンも、
男どものまっすぐ・純情・正直には、頭が下がる。
特にトルファン。いい奴にもほどがある。
彼のしていることはおせっかいに違いないけれど、
間違いなく正義と誠実を愛する心からきている。
あ、だからこそおせっかい、なのか。
何にしろ、トルファンにこそいい人が見つかればいいのに。
外国で友人のフィアンセの貞節を心配するのなんかやめて、
自分のこと考えたらいいのにな、とか
トルコ人の絨毯商の将来を心配してしまった。ザ・おせっかい。

痛々しい女の子たちと
ストレート直球勝負の男たちのお話でした。

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