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2009.10.27 (Tue)

ヘルマフロディテの体温


ヘルマフロディテの体温
(2008/4/3)
小島てるみ

それは、溝かもしれない。
あるいは、
それは、壁かもしれない。

深さも高さも異なるそれを、
誰もが越えて、手に入れる。
自分がすっぽりはまる、ある場所を。


【More・・・】

二千人に一人。
多いな、というのが最初の感想で、
よく考えれば二人に一人に比べたらやっぱり少数。
性の多様性、というには、
残念ながら切り捨てられてしまうような数なんでしょう。
真性半陰陽、男でも女でもない、ヘルマフロディテたち。
何度か本やマンガで登場したのを読んだことがありますが、
彼らが主人公の物語は初めてでした。
いや、主人公は「僕」なんですが、
どうもゼータ教授の大っぴらさが目について。
それにしてもいい性格してるなあ、ゼータ教授。
「知っているけれど、教えない」なんて、
憎たらしく思わない方がおかしい。

全編にわたって、性が散らばっている。
塊としてまとまった形なんて、
一つもないのだということを突き付けられた気がする。
性自認、という言葉は、
特にそれが簡単なことでない人々のためあるのだと思った。
何の疑いもなく、自分の性を分類できる者が、
どれほどいるのかはよく分からないけれど、
多分、誰もが子供時代のどこかで、
自分の性を外から突き付けられたはずで、
そこで初めて、「自認」を求められる。
自ら認めることのなのに、外からの圧力でそれは起こる。
そう考えると、ゼータ教授のそれは特別なものだったのだと思う。
圧力を感じることもなく、ごく自然に受け入れられた。
自分はヘルマフロディテだと。
教授は、幸福なひとだ。

でも、認めることと
それとして生きることの間には大きな差があるらしい、やはり。
まあ、性に関してだけではなく、
往々にして精神が望むものと生活は分離しているのかもしれませんが。
「僕」が紡ぐ物語の中で、
自分の性をそのまま生きられた人はいない。
現実に生きる者たちも、過去の浮浪児たちも、
そして神でさえ、自分の中の性を持てあましている。
その姿は見ていてつらくなるけれど、
同時に励みになるようにも思う。
男であることも女になることも、
そう当たり前のことじゃない、と思える。
みんな何かしらの苦労をして、やっとそれを身の内に抱えている。
「僕」の経験や教授の過去はその最たるもの、というだけ。
普通であるのが難しいことであるのと同じように、
特殊であることも多分、そうなんだという気がした。

物語ることの効用を、
ダミアーノは知っていたんだろうな、と思う。
具体的にではなく、直観的に。
おそらくは「僕」も同じ。
半ば脅されながら書いた物語は、
教授を満たしただけじゃなく、
教授が予言したように「僕」のためにも確かになった。
そういう物語を書ける人こそが、物語を書くべきなんでしょう、きっと。
小島さんはそういう物語を書ける人なんだと
一冊目にも関わらず思ってしまった。

「きみを裏切ることができるのは、きみだけだ」
ゼータ教授の言葉が忘れられない。

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