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2009.11.10 (Tue)

鼓笛隊の襲来


鼓笛隊の襲来
(2008/3/20)
三崎亜記

「世界」と「自分」は不可分。
それが本当なら
誰もズレに苦しんだりしない。

「世界」と「自分」は可分。
もしそうなら、
ズレはきっと当たり前。

けれど、「自分」と分れた「世界」は
ふいにひっくり返ったり、入れ替わったりする。
それでも立っていられるのが
「自分」のすごいところだと思うけれど。


【More・・・】

ここは自分の場所じゃない、というような疎外感は、
世界と自分の認識との間のズレだと思うけれど、
もしそれが世界と世界の間の亀裂なら、
認識する自我は、一体どうそれを捉えるんだろう、とか
哲学的なような、まるでそうでないようなことを、
読みながらあまり意味もなく考えた。
通常の世界からズレた世界を認識するのも自分な訳で、
結局ズレとしては、同じことなのか、な。
まあ「自我」だの「認識」だのわざわざ小難しい言葉で考えなくても
全体として「あれ?」ということについての話が多かった印象でした。

短編集としてのまとまりがどうのという意味で言うなら、
9篇の短編はもう全部が全部そんな感じでまとまりまくり。
たとえば「彼女の痕跡展」なら、
記憶と過去と、それを支えにする現実の間にある齟齬について。
「校庭」や「『欠陥』住宅」なら、
自分に見えているものと見えていないものの間の距離について。
認識する側の「僕」や「私」はそれの前にふいに立たされて、
戸惑ったり、足をすくわれたり、通り過ぎたり。
反応は様々だけれど、
強引に言ってしまえば、全部同じ話のような気さえする。
切り口が違う、というよりも
同じ切り口を距離や方向を変えてあちこちから眺めている感じ。
嫌な切り口でもないので、苦にも思わないわけですが、
9篇、さすがに満腹です…。

それにしても、
「赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。」だの
「由香里が覆面を被って出社した。」だの
「はあ?」となりながらも、先を読まずにはいられない設定に関しては
やるなあ、とか素直に思ってしまう。
他にも浮遊特区申請だの、突起型選択装置だの、
よくそういう妙な言葉を思いつくものだと思う。
しかも、その言葉が根付いた世界が綻ばないように
大胆に細かい虚構を混ぜてくるあたり、
作家なんだなあ、なんてよく分からない感慨を抱いたりもする。
そんな言葉群の中でも気に入ったのが、「浮遊維持課」
最新の浮遊装置を使ってはいるようですが、
なぜか背広姿の男たちが輪になって念力で島を浮かせる光景が…。
四交代制ぐらいで、年末は浮遊要員確保に苦労する、とか。
課長クラスだと、短時間なら一人で浮かせられる、とか。
でも過去の落下事故で単独浮遊は禁止されてる、とかとか。
いい具合に妄想膨らむ単語です。

「象さんすべり台のある街」のなかで
象さんが毎日会社へ通う私に向かって、
身動きできないより、そっちの方がよっぽど大変に見える、
というようなことを言う場面がありますが、なんだか既視感でした。
「毎日同じ学校に通うなんて、飽きない?」と言われたことがありますが
あの頃はそんなことを考えたことさえなく、
変なこと尋くなあと思った覚えがあります。
今にして思えば、確かに六年・三年・三年と、
よくもまあ飽きせずに通ったもんだなあと自分に感心したり。
象さんのような境遇は、今も昔も哀れな気がしますが。

電車の消失、なんか聞き覚えがと思ったら、
小路幸也の「そこへ届くのは僕たちの声」でした。
あれも胸がひりひりするような話でしたが、
妙な切り口でも、三崎さんが切っているのは
王道の柱なんだろうな、とか思った
「同じ夜空を見上げて」でした。



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